岩を縦に置くという、驚きの構想
月明洞(ウォルミョンドン)自然聖殿は、1989年から開発されるようになりました。彼は最初、生家の南側すぐ目の前にある高さ150メートルの前山の斜面に「セメントの階段」を作って、そこに人がたくさん座れるようにしようと考えました。しかし祈りの中で神様は「セメントの階段ではなく石で造景をし、そこに花も松も植えなさい。数十トン、数百トンの岩を横に寝かせて置くのではなく、縦に立てて置きなさい」という、人間の考えでは思いつかないような岩の造景(=野心作)の構想を下さいました。
しかし月明洞を開発することは容易ではありませんでした。山奥で道も悪く、土地は荒れ放題で、ジャングルのように草や木が生い茂り、傾斜だらけで、平地も少ない場所でした。本当にこの場所に自然聖殿を建築できるのだろうか?と、彼自身、疑心暗鬼になりましたが、神様の御心を成すために、開発することを決心しました。
専門家たちからの反対
彼をはじめ、弟子たちも造景作業に関しては経験のない全くの素人であったため、有名な庭造景の専門家を数人呼ぶことにしました。彼が造景の構想を話すと、専門家たちは「それは絶対不可能だ、これまで全国や世界の造景を手がけて来たが、こんな構想は見たことがない!!」とこぞって反対しました。その不可能とされる理由が3つありました。一つ目に、まず構想に合う形の岩がなかなか見つからないことです。千差万別に形が違う岩の中から、構想に合った形のものだけを探し出すことが非常に困難とのことでした。二つ目に、人間より大きい岩を、「造景」として調和を成すように美しく設置することが難しいことです。通常の一般家庭規模の庭造景であるならば、範囲が狭いため調和をとることが容易ですが、広大な山の斜面に、何十トンもある岩を美しく調和を成すように配置することは、極めて難しいとのことでした。三つ目に、その数十トンもする岩を縦に自立させて置いていくことが、あまりにも危険で困難であることです。ひとつ間違えれば、作業中に岩が倒れ大惨事を招きかねず、また仮に設置できたとしても雨や風の浸食により地盤が緩み、すぐに倒れてしまって岩も割れ、復旧も困難であるとのことでした。
しかし、彼はそれら専門家の話よりも神様からの構想を強く信じ、作業を始めました。専門家から基本的なアドバイスをもらった後は、彼と弟子のみで作業を進めました。まずは生家の目の前の敷地面積を広げるために、山を削る作業から入りました。重機が入れないところは手作業で草を刈り、鍬とシャベルで少しずつ土を掘り出し、リヤカーで運びながら少しずつ少しずつ広げていきました。
急勾配に数十トンの岩を積み上げる作業
ダイナマイトで硬い斜面を爆破し、ドリルで削り、パワーショベルで地面をならし、その斜面にフォークレーンで、人間よりはるかに大きい数十トン、中には100トンもする岩を並べていきます。夜も昼も区別なく、日が昇ったのか月が昇ったのか分からないほど熱心に作業をし、徹夜までしながら時間を惜しみ、弟子たちと数カ月間岩を積み続けました。初めてする岩の作業。急勾配に数十トンの岩を積み上げる仕事は、瞬間瞬間、肝がつぶれるような思いをしながら行われました。作業の合間にも彼は常に祈りを捧げ、岩を一つ選んで場所を移すのにも神様に祈りながら作業を進めました。祈りの中で、土を積み上げて傾斜での作業も楽にする「ピラミッド工法」(※傾斜部分に土を積み上げて平らにし、パワーショベル等の重機が平地同様に作業できるようにする工法)の構想を天から受け、作業をスムーズにさせました。
何度も崩れ去る岩の造景
また、必要な岩が不思議にもその都度手に入るようになり、作業は順調に進められていきました。岩を積む作業では、数十トンもある岩を1本のロープにぶら下げ、順番に置いていきます。何十トンもの岩を一つ置くのにも数時間以上かかり、また事故が起こってしまえば大惨事になる作業なので、現場は常に緊張感と集中した空気に包まれていました。その作業は彼を先頭に深夜まで続けられ、彼も弟子たちも体力の限界まで作業に明け暮れました。そして、数カ月間命をかけて苦労して積んだ岩の造景が、ついに完成します。しかし皆が満足して喜んでいたある日、雨が降り注ぐ中、岩の造景はむなしく崩れ落ちてしまいます。最初に立てた石灰石は、その年の冬に凍ったものが溶けた時に割れてしまい、大理石工場で拾ってきて積み上げた大理石の造景は、その重さに耐えられず、前の方に倒れてしまったのです。呆然とする中で、彼は諦めずに「もう一度やろう!」と奮い立ち、また何カ月もかけて2度目の設置を試みました。しかし2度目も雨によってあっけなく崩れ去りました。「岩が悪いのではないか」と思い、今度はもっといい岩で3度目の設置を試みました。しかしまたしても降り注ぐ豪雨に耐えられず崩れてしまいました。
先が見えない状況の中、弟子たちの中には、岩の造景作業を続けるべきかどうか疑問を抱く者も出てきました。彼は何が原因なのか、ひたすら神様に祈り求めましたが、何の答えもありませんでした。「土台が甘かったのではないか…設置する際、バランスが悪かったのではないか…」あらゆる可能性を考えながら、4度目の設置を試みます。数カ月後、今度こそ完璧に積み上げたという実感がありました。「これで二度と崩れることはないだろう」と確信したその日の夜。夜通し降り注いだ雨と共に、岩はまたもや無残にも崩れ落ちてしまったのです。
岩が崩れても、私の心は崩れない
「どうしたんだ…どうしてまた崩れたのだろうか…」。彼はショックのあまり崩れた造景を見ることもできず、食事も喉を通らなくなりました。弟子たちからも不満の声が漏れてきました。「神様の御心ではないから崩れるのではないか」「もう何度やってもまた崩れるのではないか」「こんな無謀なことはやめて、ソウルに教会を建てるべきではないのか」「牧師先生の固い心も、今度ばかりは崩れたようだ」。これらの声が彼をもっと辛くさせました。
誰もが諦めかけていた中、彼は弟子たちを呼び集めて言いました。「この岩が崩れても私の心はまだ崩れていないから構わない。また積み上げればいい。100回崩れても神様の御心なら必ずまた積み上げる。私は倒れることはない」。ある弟子が彼に「牧師先生、どうしてここまでして岩を積み上げようとするのですか?」と聞くと、彼は「天の国をこの地上に表現するという事がそんなにたやすいことか。私たちは天の国の雄壮さをこの地上に映す仕事をしている」と答え、その覚悟を伝えました。
5度目の作業と悲劇
5度目の作業が始まりました。倒れて割れてしまった岩を丁寧に取り除き、また一つ一つ岩を設置していきました。その頃には石を積む技術も相当レベルが上がっていたため、短時間で積めるようになっていました。「今度こそは大丈夫だ」という自信がどこからか湧いてきました。この岩の造景は「上段・中段・下段」に分かれていますが、上段・中段にはいくつかの細長い岩を縦にした状態で設置し、また中段には大きい松の木を何本か植えました。下段は石を寝かせて平らに椅子のように置いていきました。そしてついに完成間近となったときに、悲劇が襲いました。中段にある縦にして設置した岩が崩れ落ちたのです。
涙の祈りと神様からの答え
彼は弟子たちと顔を合わせるのも気まずくなり、一人で涙を流しながら祈り続けました。「神様、何が原因なのか教えてください!5回目は完璧に積んだ感触はありましたし、崩れる要素が思いあたりません…何か御心があるのでしょうか…」激しく祈る中で、彼の心に一つの感動が下りました。「ああっ!!そうか!!傾斜か!!」彼は傾斜の問題であることに気が付きました。これまで積み上げた時、特に中段では山の傾斜が微妙にきつくなっていたので、気が付かないうちに徐々に岩が前のめりになっていたのです。
原因が分かったので、早速6度目の作業に取り掛かりました。やむを得ず中段の岩は縦にしないで横に寝かせるように設置しようとしましたが、今度はいい岩がありませんでした。思い悩んでいる時に、偶然かのように、これまでで最高の岩(虎皮石)が届くようになり、作業は滞ることなく進められました。いよいよ完成が近付いてきましたが、彼は中段の岩を寝かせるようになったことに物足りさを感じ、「5回目より劣るな…」と思ってとても残念がりました。何度か平らに置いた岩を縦にしてみようと試みましたが、他の岩とのバランスが崩れてまた倒れるのではないかと不安がよぎり、結局止めました。
構想は神様、感動は聖霊様、保護はイエス・キリスト
そして6度目にして、ついに神様の構想通りに作った岩の造景「野心作」が完成しました。豪雨が降ろうが大雪が積もろうが人が何十人乗ろうが全く微動だにしない完璧な設置とバランス、大小さまざまな岩・松の木・季節の花々による絶妙な調和、何よりもその造景の迫力と神秘さ美しさ。頂上にある岩には、次のように文字が刻まれています。「このすべての構想は神様、感動は聖霊様、保護はイエス・キリスト、そして技術実践は私と弟子たち」
完成させた際、彼はこう言いました。「最善を尽くしなさい。そして、繰り返し学び、次元を高めていった時に神様の御心を成す。しかし最善を尽くしても崩れる時もある。また立てなさい。また立てればいい。落胆し諦めないこと。やったものは崩れても、その苦労したものはいつも自分にある。その苦労した運がいつも自分に従う」。
野心作が5回も崩れた本当の理由
野心作の工事を終えてから18年後、彼は祈りの中で「野心作が5回崩れた本当の理由」を知るようになりました。私たち人間の考えでは「1回目で完璧に作ったら良いのではないか、その方が時間も経費も掛からずに済むだろう」と考えます。しかし聖書にも書かれているとおり、神様の考えと人間の考えは全く異なるものでした。
野心作が5回も崩れたのは「神様の構想通りになるまで積み直しなさい」という神様のメッセージでした。野心作は神様が構想された「神様の御座の象徴」だったのです。岩を寝かせて平らにして置いた下段部と中段部分は椅子の座る所で、岩を尖った形に縦にして置いた野心作の上段部分は椅子の背もたれで、下段の左右に置いた87トンの岩は椅子のひじ掛けの先端を象徴しています。5回目の設置の際に、中段の縦にした岩が崩れるようにしたのも、この形象のためだったのです。もし岩を縦にして置いたなら、御座の形象にならなかったでしょう。椅子の形象になるまでに5回も崩れるようにさせ、その間に岩を積む技術を完全に習得させ、全世界から素晴らしい岩が届くようにさせ、人々が集まってくるようにさせたのです。
その後も自然聖殿の開発は続き、いつも祈りで神様の構想を聞きながら、月明湖・八角亭・祈りの芝生・滝の造景・形象岩(御子岩、ラクダ岩、聖霊岩etc)・御子愛の家・松などが開発、設置され、世界に二つとない自然をそのまま生かした「自然聖殿」が完成するようになりました。そして今もその開発は続いています。